旅せよ、ひやま(檜山)

誰も教えてくれなかった、ひやまが見つかります。

ひやま今昔

STORY.3

「より良い明日へ」
今日に継ぐ、彼らが描いたひやまの未来

story3

1976年オンコの木に隠された
石仏を発見
クリスチャンが
描いた最後の理想郷

インマヌエル教会

1976年、いまかね町に住む岡野英雄は木彫りをするため裏山のオンコの木を切り倒した。根本は空洞化しており、隠されるように眠っていたのは掌サイズの石仏。そこで持ち上がったのが「蝦夷地へ逃げ込んだキリシタンによって持ち込まれたのでは?」という説だ。それほど、ひやまとキリスト教は関わりが深い。一つは遡ること江戸時代。蝦夷地が隠れキリシタンに残された最後の場所であったことだろう。1618年カルワーニュという宣教師が鉱夫に変装して金堀のグループに混ざって蝦夷地へ渡ったという記録もあるほど、鉱夫には隠れキリシタンがいたという。幕府の弾圧は苛烈で1639年には松前藩内のキリシタン6人がかみのくに町で処刑され、金山で50人が殉教したという歴史があるほどだ。二つ目はせたな町に移り住んだ日本で最初の女医である荻野吟子もまたクリスチャンであったこと。夫である志方之善は蝦夷地をキリスト教徒の理想郷とするため、当時は更地だったいまかね町の神丘に聖書の一節から「インマヌエル(神と共に在る)」と名付け開拓。その賛同者として神丘に移り住んだ天沼恒三郎が立てたインマヌエル教会は、今も信仰の礎として残っている。

1990年青少年センターとして
海陽丸が
実物大複製される

青少年センター海陽丸

1993年北海道南西沖地震、発生

おくしり

おくしりはアイヌ語のイクシリ(海の向こう)という語源に由来する。1993年7月12日22時17分、災禍はまさに海の向こうからやってきた。マグニチュード7.8。地震・火災・津波の影響する大震災が発生したのだ。地震発生約3分後には、8階建てのビルに相当する高さの津波が襲来。朝が早い漁師町だったため寝静まっていた住民たちに避難できる時間はなく、198名が犠牲になった。青苗漁港を中心とした学校や郵便局など島民の生活の中心となっていた地区が最もひどく、島は一夜にして壊滅状態。被害総額は約664億円に達していた。「本当にここから、元の街に戻れるだろうか」。しかしここからおくしりは、目を見張るほどの復興を遂げていく。全国から集まった義援金は約190億円。住民の支援を図ると同時に、迅速に高台へ避難できる漁港の「望海橋」など被害の実態を調べて対策を講じていった。そうして1998年。完全復興宣言を唱え、日本でも有数の防災施設など日本一とも言われる津波対策を果たすこととなる。その間たったの5年。現在、おくしりでは震災や復興への取り組みの経験やノウハウを全国へ伝承し、「奥尻島津波館」で災害の記憶を後世へつなげている。

1998年おくしり島完全復興宣言
慰霊碑・時空翔にかけた
風化させることなく
未来へ繋ぐ記憶

慰霊碑・時空翔

2005年日本初の洋上風力発電
「風海鳥(かざみどり)」が始動
ヤマセが支える
クリーンな自然エネルギー

日本初の洋上風力発電「風海鳥(かざみどり)」

せたな町には、冬は北西の季節風、夏は「ヤマセ」と呼ばれる東風が吹く。平均風速は毎秒7.9m。その強い風を次世代のエネルギーとして活用しようと、2004年に設置されたのが3枚羽の風力発電機「風海鳥(かざみどり)」だった。「子どもたちの未来に美しい地球を残すため、環境にできるだけ負担をかけないクリーン・エネルギーを」という願いを持って建設された風力発電所は、日本初となる洋上設置。せたな町では1985年に当時の運輸省からケース・スタディ港の指定を受け、瀬棚港マリンタウンプロジェクト事業を展開。その一環で新エネルギーとして洋上風車を建設し、風力エネルギーを活用しようという提案があり洋上風力発電所が計画されたのだ。風海鳥1基の電力量は500世帯分。せたなの風が、子どもたちへ残す美しい未来へつなげる原動力となっているのだ。また、ひやまは環境に優しい持続可能な農業を行うエコ・ファーマーの認定を受けた農業家が多くいる。1922年にはえさし町椴川の自生地はヒノキアスナロの純木が多いことから、国の天然記念物に指定されている。豊かな自然を維持し、守り続けていこうという本格的な取り組んでいったのだ。

2016年北海道新幹線が開通
新たな価値を創造する
ひやまに魅せられる

北海道新幹線
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